先日、ハピママ講座「こどもの風邪養生」を準備していて、ふと思ったことがあります。
体調を崩した子供のために、お粥を作ったり、リンゴをすったり・・・。
それって、お母さんにとっては「今、目の前にいる我が子のため」という思いがほぼ全てなんだろうけど・・・その「効用」は、実はもっと大きいんじゃないかと。
小さい頃に熱を出した時、母が作ってくれたすりおろしリンゴや、卵おじや。ひんやりと甘いリンゴの果汁や、ほっこり優しい卵おじやの味は、記憶というより細胞に染み込んでいる気がします。
だから大人になってからも、体調を崩すとあの味を欲するし、子どもたちが体調不良の時にも思わず作っちゃう。
熱が出た時、寒気がする時、お腹の調子が悪い時・・・どんなお手当てをしたらいいのか?何を食べたらいいのか?風邪や体調不良の時って、それを伝えるまたとないチャンスだと思うんですよね。
言葉であれこれ教えるんじゃなくて、『体験』『感覚』として、きっと細胞に染み込んでくれるはず。
『細胞に染み込んだ記憶』は、きっと将来、この子を助けてくれる。
母の手元を離れ、もう何もしてあげられない時がきても、お手当ての記憶はきっと、この子を守ってくれる。
・・・そう思うと、こどもを看病する時の心持ちが、ちょっと変わる気がします。
そんなことをふと思いついたのは、きっとこちらの詩を知っていたから。↓
初めて読んだ時も、折に触れて読み返す時も、いつもウルウルしてしまいます。
「抱きなさい 子を」浜 文子
抱きしめなさい 子を
育児書を閉じ
子育てセミナーを欠席し
抱きしめなさい 子を
誰にも遠慮せず
あなたの子を しっかりと
抱きしめなさい
抱きしめなさい 子を
母の膝が 子どもの愁いの
すべてを除く その時代に
いつか母の膝は
子の悲しみに近づけない日がやって来る
やがて母の手が
子の涙を拭いてやれない日が訪れる
きっと来る その日
子が涙を拭う手に
柔らかな記憶の手が重なるように
痛む子の心が
温かな思い出の膝に包まれるように
母よ 抱きしめなさい 子を
もう何もしてやれない日のために
抱きしめる手が 子の未来に届くよう
幾度も 幾度も 抱きしめなさい
母たちよ
やがて別れる者として
あなたの子を しっかり胸に 抱きなさい
ラストの2行が、これまた私の大好きなカーリル・ギブランの詩に通じる気がします。
【あなたは 弓である
そして あなたの子どもらは 生きた弓としてあなたの手から放たれる
弓ひくあなたの手にこそ 喜びあれ・・・と】
まぁ、「そもそも、熱でフラフラな時にお粥を作れるんかい?」なんていうツッコミどころもありますけどね。(^_^;)
ただ、できるか否かは別として、「戻るべき軸がある」ことは、やっぱり大事な気がします。
それに、こんな話も聞きません?
「体調不良で寝込んでいると、夫が『僕のご飯は・・・?』と言ってきた。(-_-;)」
「寝込んでいるところに、夫が『食べるもの買ってきたよ〜!』と、コンビニの袋をドサッ。開けてみると、そこには唐揚げやコロッケ。(-_-;)」
なんというか・・・「このバカチンがぁぁ〜っ!!」な案件たち。(笑)
ここであったかいお粥でも登場しようものなら、旦那さんの株が急上昇するでしょうに・・。
自分の息子をバカチン夫にしないためにも、夫婦円満になってもらうためにも、「お手当ての知恵」はやっぱり大事。(*^^*)